戻る

艦橋会議

艦橋会議。この言葉を聞くだけで胃が重くなる。

恒星間航行船バーナードの今後について、船長や機関室長、調理室長など重要人物を集め話し合う月一の会議である。

私は普段先生として働いており、船の未来を決定する重要な艦橋会議に呼ばれる必要はないのだ。

だが、今回は呼び出しがかかった。私はもう戻るつもりはない。呼ばれたからには顔だけ出すが、すぐに抜けるつもりだった。

艦橋へ向かうには船中心部を貫くメインシャフトにバーティックシャトルを使い移動し、無重力区間を抜け船前方部に向かう必要がある。

講義室からは20分程度を要し、そこそこ面倒である。

私は少し遅刻気味に艦橋へ到着し、左手首の端末を耐圧隔壁にかざす。

「認証しました」とシステムアナウンスが鳴り、円形の重厚な鉄の扉が奥側に開く。

艦橋はこの船の大きさにしては小さいが、前方には巨大なアクリル樹脂製の窓が設けられており、操舵に必要な複雑な操作機器、無数のモニターが配置されている。中央部には巨大な円盤状のホログラムスクリーンが設置されており、会議はこのスクリーンを囲むようにして行われる。スクリーンには無重力空間でも体を固定できるように手すりが設置されており、会議中はこれを軽く握っている必要がある。

「失礼します」

私は目を瞑りながら艦橋に足を踏み入れた。無重力なので実際に最初に入ったのは手だが、まぁいい。

「遅かったじゃないかアマネ。君は時間を守る殊勝な人間だったはずだが、先生業務に就いてから鈍ったか?」

本当はそんなこと思ったことがないくせに。

目の前にいるのはこの船の第三代船長、トワである。

私と同世代であり、自由解放戦線による謀反を鎮めた本人でもある。その時の影響で片目を失い、今は眼帯を着けている。

彼女は背が高く威圧的で、表情を滅多に崩さない鋼のような人である。無感情無慈悲で、正直に言えば私は嫌っている。

「いえ、とんでもございません。遅れて申し訳ございません」

「まぁ良いじゃないですかトワ船長。話すべき議題に移りましょう」

私の左側にいるこの男はヒナギ。機関室長であり、この船のエネルギー管理に関する権限を持ち合わせている。私と同じ第六世代だが、私より年上で、40代後半と見られる。

恰幅がよく大酒飲みであり、髭を伸ばし続けてはその長さを自慢する珍奇な人だ。

「そうです。事態は一刻を争います」

私の右側にいる男はキリシマ。角張った細縁のメガネをかけており、この船の食料管理に関する権限を持ち合わせている。

ここの中では異例の第七世代であり、まだ若い。彼の天賦的なデータサイエンスの知識はこの船の食料効率を18%向上させ、重役に飛躍することとなる。

「……本題に入る」

トワはホログラムスクリーンに航路図を映した。

ヒナギが進路上の赤い帯を指す。

「この岩石帯は回避中です。衝突の可能性は低いと見ています。航路の確認は後ほど」

トワが頷くと、表示が三つのグラフに切り替わった。そのうちαセクションのものだけが、途中から落ち込んでいる。

「αのバイオリアクターを止めた。このまま復旧できなければ、船全体の食料供給の3分の1を失う」

先日から食事の品質が落ちているのは知っていた。だが、一時的なものだと思っていた。

「他の2基で補うことはできないのですか?」

「余力がありません」

キリシマは手元のタブレットを見たまま答えた。

ヒナギが説明を引き取る。

「αは主機関から電力を受けています。長年の調整で主機関のパルス周期が変わり、リアクター側の電源回路の固有周期と重なってしまったんです。コンデンサが異常発熱して、劣化が進んでいます」

「……共振か?」

「えぇ。まだ絶縁破壊には至っていませんが、そのまま動かせば完全に壊れます」

さっさと退席するつもりだったのに、手すりを握る指に力が入った。

「交換部品は?」

キリシマが小さく首を振る。

「自由解放戦線との戦闘で損傷した設備の復旧に使い切りました。再製造に必要な特殊材料も残っていません」

「では、どうするのですか」

「電力調整器と蓄電器を増設し、発熱を抑える。一時的な再稼働はできる見込みだ」

トワはそこで一度言葉を切った。

「だが、部品の劣化は戻らない。延命に過ぎない」

これで直る、と言ってほしかった。誰もそうは言わなかった。

ヒナギは私から目を逸らし、キリシマは次の資料を開く。トワは相変わらず無表情だった。

「……私に、何をさせるつもりですか」

ホログラムに船員の一覧が映し出された。

おそらく、これは会議ではない。すでに決まったことがあって、私の役割は……。

「そこで、私たちは今後起こりうる最悪の場合に備え、船員のラベリングを行い生存に関する優先順位付けを行なう。食料供給が不足した場合は下位の者から安楽死措置を取り、人口を2/3まで減らす。人口に合わせて居住区や生産設備の稼働範囲も縮小する。運航と生命維持に必要な職種の人員を確保すれば、少ない人数でも船を維持できる。アマネは、第八世代の船員についてラベリングを担当してもらいたい。有望な船員を選別し、後継に繋げる」

最初、私は何を言われているのかわからなかった。

無表情の顔から紡がれる言葉は機械のように平坦で、まるでそれをすることが当たり前のような態度で。

私は、

「……ふ、ふざけるんじゃないよ!!!」

気づけば手を振りかざし、叫んでいた。

身体中が燃えるように熱い。こんな感覚を味わったのはいつぶりだろうか。

「いくら食糧危機と言っても、人を故意に殺すことなど許されるものか!ましてや、生きる価値のある人間を選ぶだなんて、何様のつもりだ!お前ら二人もなんとか言ったらどうだ!!!」

キリシマは相変わらずタブレットを眺めている。ヒナギに関しても私から目を逸らしたままだ。

この場で正常なのは私だけか?本気でそう思った。

「このろくでなし」

言葉を吐き捨て、この場から立ち去ろうとした。

だが、

「偽善を騙るのは勝手だが、代替案も提案せずにこの場から逃げるだけの者より、私たちの方がよほど倫理的だ。お前は生徒を飢え苦しませ、可哀想だと嘆き、彼らを死なせれば満足なのか。……ラベリングの件は任せたぞ。どちらにしろ生徒に成績をつけるのがお前の仕事だ」

何か言い返してやろうと思ったが、咄嗟に言葉が浮かばなかった。

「倫理や道徳というものは自己満足に過ぎない。」これはトワが以前から言っている言葉だ。バイオリアクターの問題については、具体的な解決策が浮かばない自分の貧弱な頭を呪うしかない。

トワの言葉にも、無限遠の譲歩をした上で理解できる部分もある。だが一方で、選民を行なった後のこの船をS2に送り届けたとして、そこに何が残るのだ。あれでは人の形をした機械人形だ。

「……他に食料効率を上げるとか、配給を減らし分配するとかあるだろう」

私は必死に捻り出した解決策を言葉に紡ぐ。だが、こんなことは誰でも思いつく愚直な考えだ。

「えぇ、それについてなのですが、ご存知の通り既に配給に余裕がありません。食料を平等に分配した場合、単純計算で今の67%の食事量に低下します。これでは必要カロリーを補えず長くは持ちません。我々はあと80年、4世代分にわたって船を維持する義務があります。もちろん、今後の出生計画も見直す予定ですが、自然に人口が減るまでバイオリアクターが持つとは見込めません。この問題は今目の前に迫っています」

キリシマの声が響く。

これから誕生する人口を減少させ、今の世代が寿命で亡くなるのを待つだけでは遅いと言っているのだ。

理屈では分かるが、これはそういう問題ではないのだ。

「船の運行経路について、元一級航海士のアマネにも見てもらいたかったのですがね。艦橋はいつでもあなたを歓迎していますよ」

ヒナギがはぁとため息を漏らす。運行経路については、この時までヒナギが面倒を見ていて問題なかったのだ。私がいなくても何も問題はないだろう。今はどちらにせよまともな判断はできないはずだ。

私は艦橋を後にする。誰も私を止める者はいなかった。

メインシャフトを経由し、αセクションの講義室に戻る。本日は自習と伝えたが、少しばかり生徒の顔が見たくなったのと、様子を見るためだ。

講義室に戻った時に数名の生徒が抜け出していることに気づいたが、むしろ安心した。

私が現れたことに驚き急いでテキストを開く者、外出した友達に連絡する者など様々な様相だった。

この中で、誰かを選ぶなら……。

トワの言葉に引きずられ、無意識に考えてしまう。

「これでは、先生失格だな……」

その日の夕食はクロワッサン風のパンとクリームシチュー、シーザーサラダが提供された。食堂の皆は喜んでいたが、私は素直に喜ぶことができなかった。味は少ししょっぱかった気がする。